
著者は本書の中で次のような二つの問いを立てます。
質問一 あなたががんになりました。状況はかなり厳しいものに思われます。それをあなたは告知してほしいですか、言わずにいて欲しいですか。
質問二 あなたにとって大切な人が、質問一と同じ状況になりました。それをあなたは、その人に伝えますか、伝えたくないと思いますか。
この問いの正解を求めるのが著者の意図ではありません。著者は、この二つの質問をきっかけに、大切な人の「死」さえも「ひとごと」にしかねない自分の姿を問うのです。自分の愛する子どもを小児がんで失おうとしているところから発せられた問いは、自然に深められて行きます。
「わが子といえども代わってやることはできず、だれにも代わってもらうことができないとは、そのまま自分の、そして他者の、かけがえのなさにほかならないのだ」
人間は、誰もが独り生まれ独り死んでいく。自分の「生」のはかなさに立ち返れたとき、同じはかない「生」を生きる者として、初めて大切な人に寄り添えるのではないでしょうか。
質問一 あなたががんになりました。状況はかなり厳しいものに思われます。それをあなたは告知してほしいですか、言わずにいて欲しいですか。
質問二 あなたにとって大切な人が、質問一と同じ状況になりました。それをあなたは、その人に伝えますか、伝えたくないと思いますか。
この問いの正解を求めるのが著者の意図ではありません。著者は、この二つの質問をきっかけに、大切な人の「死」さえも「ひとごと」にしかねない自分の姿を問うのです。自分の愛する子どもを小児がんで失おうとしているところから発せられた問いは、自然に深められて行きます。
「わが子といえども代わってやることはできず、だれにも代わってもらうことができないとは、そのまま自分の、そして他者の、かけがえのなさにほかならないのだ」
人間は、誰もが独り生まれ独り死んでいく。自分の「生」のはかなさに立ち返れたとき、同じはかない「生」を生きる者として、初めて大切な人に寄り添えるのではないでしょうか。

著者の長男「遊雲さん」が小学六年生の時、右脚にできた腫れ物が小児がんとわかった日から、亡くなるまでの3年にわたる闘病生活を振り返り、「死」そして「生」からの問いを考え続けた手記です。
手記そのものは著者が自ら開設しているホームページ「山寺」(http://www.yamadera.info)の「住職の部屋」に公開されていますが、遊雲さんの死後、もう一度わが子の「生」をたどり、考えを深めたのが本書です。
浄土真宗の僧侶でもある著者は、「死」を「わがこと」として捉えようとします。宗教者としての深い思いと父親としての波立つ感情との狭間に揺れながら「死」に向き合う真摯な姿には、心打たれます。
「息子とこんなぜいたくな時間を過ごした父親は少ないと思う。特に何を話したというわけではないのだけれど、興味の向くままにいろんな話をしながら、あるいはただ黙々と、歩いた。楽しかった。二人いっしょに、懐かしい孤独に浸った」と書かれているように、特に息子の「死」と本当に向き合うまでの父親の葛藤が静かに痛切に響きます。
大切な人を失った方へ、その悲しみの中で立ちつくしている方へ、こころに響く言葉に満ちた本です。
手記そのものは著者が自ら開設しているホームページ「山寺」(http://www.yamadera.info)の「住職の部屋」に公開されていますが、遊雲さんの死後、もう一度わが子の「生」をたどり、考えを深めたのが本書です。
浄土真宗の僧侶でもある著者は、「死」を「わがこと」として捉えようとします。宗教者としての深い思いと父親としての波立つ感情との狭間に揺れながら「死」に向き合う真摯な姿には、心打たれます。
「息子とこんなぜいたくな時間を過ごした父親は少ないと思う。特に何を話したというわけではないのだけれど、興味の向くままにいろんな話をしながら、あるいはただ黙々と、歩いた。楽しかった。二人いっしょに、懐かしい孤独に浸った」と書かれているように、特に息子の「死」と本当に向き合うまでの父親の葛藤が静かに痛切に響きます。
大切な人を失った方へ、その悲しみの中で立ちつくしている方へ、こころに響く言葉に満ちた本です。




