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みんなの法話1 根本的な解決  野生司祐宏(のおすゆうこう)(東京・実相寺住職)

何不自由ない苦悩

私たち凡夫の欲望には、限りがないといわれてます。いつもいつも何かを求めています。それは、お金だとか地位や名誉、あるいは誰かの愛情かもしれません。そこで、無いこと、足りないことの苦しみは、皆よくわかります。しかし、何の不自由もないように見える人の悩み苦しみは、なかなか理解されません。田中さん(仮名)のおばあさんの場合もそうでした。

最近、田中さんは毎日毎日が不安で、夜もなかなか眠れないそうです。経済的な心配ではありません。十年前に亡くなったご主人が、とても使い切れないほどの資産を残してくれたからです。健康問題でもありません。傘寿を迎え、少し耳が遠くなりましたが、身体はいたって丈夫です。次女の家族と同居し、近くには次男一家も住んでいますから、一人暮らしの寂しさとも無縁です。さらに長年、華道を教授してきたお陰で、今でもお弟子さんたちから、いろいろお誘いの声がかかり、それなりに充実した日々を送っています。

このように外見上は、誰もが羨むような満たされた余生ですが、少し以前から、四人の子どもたちにどう財産を分配したらよいか、その問題が片時も頭を離れなくなったのです。遠方に住む長男長女も、お正月には孫たちを連れてやってきます。仲の良い兄弟姉妹を見るにつけ、将来、遺産をめぐって骨肉の争いが始まったらどうしよう。苦悩は深まるばかりです。なんともぜいたくな悩みのようですが、本人にとっては食事が喉に通らないほど深刻な問題なのです。

生・老・病・死の四苦

釈尊が、人間には生・老・病・死という四つの根源的な「苦」があると説かれたのは、二千数百年前のインドでした。今日の世界は、釈尊がお生まれになった時代とは比較にならないほど進歩したといわれてます。特に科学技術の発展により、私たちの生活は豊かで便利になり、平均寿命も大きく伸びました。

少し以前までは、世の中に物があふれ、多くの人が長生きできるようになれば、誰もが幸せになると考えられてきました。しかし現実はどうでしょうか。

つづきはご購入いただいてお楽しみください。
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