質問8:目の前からいなくなって初めて想いに気づいたときは、どうすればいいですか?
む、これは恋愛関係の質問ですね。こっち方面も、私、得意ですぜ。
「どうすればよいか」という具体案をお求めです。それでは「その気持ちを塩漬け」することをお勧めします。恋愛というのは、「自己愛」と「錯覚」のコラボレーションです。ですから、順調ならばこれほど自分という存在を肯定してくれるものはありません。このご質問の場合、「目の前からいなくなる」という欠如状況が加算されることによって、クラマさんの感情が肥大したわけです。そこで「一度こちらから連絡などをとってみる」という選択肢もあるのですが、まずは肥大した感情を「塩漬け」にして熟成させてみるのです。熟成してなおご縁を感じたら(このあたりは、クラマさんの恋愛センスが必要ですが)、そこで初めて連絡をとって会ってみる。そんなところでいかがでしょうか?
質問9:悪人正機(悪人正因)の基礎知識を教えてください。
おお、わざわざ「悪人正因」を括弧に入れているところを見ると、『インターネット持仏堂』を読んでくださいましたね。まいどありがとうございます。
「悪人こそが救われる」というのは浄土真宗の専売特許ではありません。たとえば敬虔なクリスチャンに悪人正機の話をすると、すんなり共感してくれます。真宗もキリスト教も弱者の宗教性を大切にしますからね。ご存知のようにイエスは「貧しいもの・弱い者・苦しんでいる者こそ幸いである。なぜならその人こそ神の国に近いのだ」というようなことを語っています。これらはよく宗教的逆説性と表現されます。信仰が深くなればなるほど、自らの罪意識が深くなるからです。
さて浄土仏教では、「善人(=強者)は自分の力でできると思っているので、傲慢のワナに落ちているのだ」と考えます。この「傲慢さ」によって、仏の慈悲からより遠くに身をおいてしまうのです。それに対して悪人の自覚をもっている人は、仏の救いを求めます。だから、悪人こそが救われるのですね。そのことを本書では、「悪人を救うという願いを聞いて、まさに私こそ悪人であったと知らされる目覚め」と表現してみました。
ところで「悪人正機」という立場を、平安から鎌倉期における社会的状況でとらえる視点もあります。当時、悪人とは非差別者・非抑圧者を指す場合があったからです。親鸞聖人もそのことは視野に入れておられ、猟師や漁師や商売人など今まで悪人とされてきた人々へ心を寄せていろいろなことを語っています。「いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり(道端にある石ころのような私たち)」という『唯信鈔文意』の文章は有名です。鎌倉時代の百科辞典である『塵袋』には、「悪人とはエタ・非人のこと」と書いてあるらしいです(@河田光夫)。悪人正機の教えは、そのような従来の宗教・仏教が相手にしない傾向にあった人々にとって、信心の軸を形成して生き抜く力となったことでしょう。
質問10:「救われる」って、どうして救われるのでしょうか。私の母は「足をすくわれるんだ」と上手いやら辛辣やらなことを言いますが…。
うまい。山田く〜ん、Gさんのお母さんに座布団一枚もってきて〜。
内田先生は本書の中で「救いは霊的次元のこと」と書いておられます。確かに「救われる」とは、宗教体験の領域でしょう。いわば、「向こう側から開ける世界」をリアルに実感する体験です。
良寛さんは、「災難に逢う時節には逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法なり」と言いました。仏教が目指す安定した心身の状態では、「生も死もわずらいなし」とさえ語られます。こういう言葉を聞くと、まさにこの人は救われているなぁ、と思いませんか。
Gさんのお母さんが言うように「足元をすくわれる」のは、自我を満足させようという方向に宗教を利用しようとして、その落とし穴にはまった状況のことです。のどが渇いたときに、我慢しきれずに海水を飲むようなものです。
何かにすべてをまかせきることができたとき、何かに無条件に受容されたとき、人は救いを実感すると思います。
質問11:今、『火の鳥』を読んでいるのですが、手塚治虫の宗教性ってどんなふうなのでしょうか?
手塚氏はおそらく世界で最もよく「マンガの記号性」を理解していた人だと思います。日本マンガ文化がこれほど成熟したのは、そのことと無関係ではありません。マンガの宗教性については、機会があればあらためてお話したいテーマです。
さて、手塚氏の作品に底流している宗教性にはどんな特徴があるのか、手塚治虫研究に造詣が深いFさんと対話してみましょう。
釈「手塚氏の宗教性といえば<個が全体に回帰する>という語りが目につきますね。
例えば、<死ねば大いなる生命に帰っていくのだ>というものや、
<すべての生命はつながっている>といったメッセージなどが特徴的じゃないでしょうか」
F「はいはい、確かに。
ただその生命は<動物・植物・昆虫などすべての生きとし生けるものがつながっている>
と語るところがポイントです」
釈「なるほど、そういえば手塚氏は昆虫大好き少年だったんでしたね」 おしまい…。
ちなみに、私が子供の頃、少年マンガ雑誌に載っていたのを読んだのですが、「もし生まれ変わったら何になってみたいですか?」という質問に対して、手塚治虫氏は「お坊さん」と答えておられました。